関口 章教授 — 教科書を書き変えたジシリンという物質

関口教授

教授 関口 章(せきぐち あきら)
所属 筑波大学数理物質系・化学域
筑波大学大学院数理物質科学研究科化学専攻
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教科書を書き変えたジシリンという物質

「現代はneo石器時代だ」と関口教授は言う。石(酸化ケイ素が主成分)の時代から1万2000年以上が経ち、再びケイ素の時代がやってきた、という意味だ。確かに半導体、太陽電池、耐熱材料など、産業の核にケイ素の存在感が急速に増してきたのが現代だ。「元素は人類の進歩を担う」が教授の信条である。

先生の研究対象を教えてください。

私の研究対象は、主に有機ケイ素化合物です。有機ケイ素化合物とは、炭素とケイ素が結合した部位を持つ有機化合物の総称です。そのなかでも特に有機ケイ素の多重結合化合物の創製と機能創出に取り組んでいます。

その研究対象を選ばれたきっかけはなんでしょうか。

もともと化学に強い興味を持っていたということがあります。化学という学問は、一つの分子を作り出すことにより、一つの産業、大げさに言えば一つの文明すら築くことができるという非常にスケールの大きな学問であると感じていました。ケイ素という元素にこだわったのは、地表に存在する割合が酸素に次いで多く、身近でありながら産業に関わり始めたばかりの材料だったためです。未踏の分野が多かったので取り組み甲斐があると感じました。それと、もしかしたら子供の頃、近所にあった信越化学(ケイ素化成品のメーカー)の工場を毎日のように見ていたことも、何かしらの縁になったかもしれませんね。

ケイ素材料が長い間、大規模に産業展開しなかったのはなぜでしょうか。

ケイ素のほとんどは酸素と強く結合していて、工業に使いやすい形で単離できなかったからです。近年になり、ケイ素を酸素から切り離す技術(還元技術)が確立し、これにより金属グレードと言われる純度99%程度のケイ素を大量に生産できるようになりました。その後、この99%を99.999999999%(11N;イレブンナインと読む)にまで高純度化する技術も完成して、半導体や太陽電池などの大規模工業も生まれるようになりました。ケイ素化学製品の製造には大量の電気と高度な技術力を必要とし、小さな企業では難しいことも理由の一つです。最近、ドイツ ミュンヘン郊外Burghausenにある世界的なケイ素化学企業のWacker Chemie (社)の訪問をして知ったことですが、一企業の電力使用量はミュンヘン全体の電力使用量と同じ程度、ドイツ全体の0.8 %程度の電力使用量です。

先生は数々の研究業績をお持ちですが、最も思い入れが深いものをあげてください。

一番没頭した研究は、ケイ素同士が3重結合で繋がった物質ジシリンの合成です。 3重結合が作れれば、そこを反応点として高分子や環状物質などの高度な機能性を有する様々な物質が合成できるようになり、有機ケイ素化合物の世界を飛躍的に広げることができると考えたからです。 1960年代までは、ほとんどの研究者がケイ素の多重結合は実現不可能と考えていて、教科書にも「不可能である」と書かれていて、非常にチャレンジングだという意識がありました。

なぜ、不可能と考えられていたのでしょうか。

炭素では2重結合、3重結合を作ることは比較的容易で、その結合を利用して多種多様な分子を作り出すことができます。一般に同族元素(周期表で縦に並んだ元素)の性質は似るものです。しかし、14族の第2周期元素(上から2番目)である炭素と同族の第3周期元素のケイ素の関係は異なります。炭素に比べケイ素の原子半径はかなり大きく、2つ目の結合、3つ目の結合のための“手“(結合手;原子をつなぐ電子軌道)が届かないことが理論的に予想されていました。実際に数多くの研究者が合成に挑みましたが、誰一人として成功しませんでした.そのため「不可能」が定説として受け入れられていたわけです。

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RSC (英国王立化学会) Chemistry World誌に掲載された関口教授の業績を紹介する記事(部分)。「ケイ素が教科書を書き変えた」と見出しされた。

それを先生が「可能」とした経緯を教えてください。

ケイ素とケイ素を繋げる前に、ケイ素にある性質を持つ分子を取り付けてから繋げるという合成するルートを試みました。ある性質とは、ケイ素原子の側に電子を押し出す性質(電気陽性な性質)です。これによってケイ素の3s軌道の準位を押しあげ、3p軌道と混ざりやすく(混成)なります。このような置換基が隣にあることにより、ケイ素原子の持つ結合が短くなり、2つ目、3つ目の結合が作りやすくなることを期待しました。期待通り3重結合を作り出すことができ、この物質をジシリンと名付けました。ケイ素—ケイ素2重結合は1981年にアメリカの研究者により実現されていました。ケイ素—ケイ素3重結合を私が合成できたのは、その22年後、2003年のクリスマスのことでした。随分と長い時間かかりましたが、この結果、教科書からは「不可能」の文字が消え、理科年表には新たにジシリンという物質が書き加えられました。

 

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Science誌に掲載されたケイ素−ケイ素3重結合実現の報告。ケイ素ーケイ素結合はトランス型に折れ曲がり、 ケイ素とケイ素の間には非等価な2つのπ結合がある(同族の炭素—炭素3重結合は直線構造)。 この成果をはじめとする数々の功績により、関口教授は2014年に紫綬褒章を授与された。

先生の研究で応用的なものがあれば教えて下さい。

これまでに研究室で蓄積した有機ケイ素の安定化に関する知見を基盤にして、全く新しいタイプの二次電池を開発しました。ケイ素ラジカル二次電池と呼んでいます。二次電池とは繰り返し充電して使える電池のことです。パソコンや電気自動車(EV)に使われているリチウムイオン電池が代表的ですが、この電池にも欠点があって、ケイ素ラジカル二次電池が代替技術として、広く普及することを期待しています。

ケイ素ラジカル電池にはどういった特徴があるのでしょうか。

リチウムイオン電池では、2つの電極の間をリチウムイオンが移動しながら電子を受け渡します。一方、ケイ素ラジカル電池では、ケイ素化合物は移動することはなく、アニオン(負の電荷を持ったイオン)⇄ラジカル(電気的に中性)⇄カチオン(正の電荷を持ったイオン)と、荷電状態が変化するだけです。この過程で、電子を移動させて充放電します。一般にイオンよりも電子の移動の方がはるかに速いため、ラジカル電池はリチウムイオン電池よりすばやく充電できます。1分程度で充電完了することも不可能ではありません。
また、リチウムイオン電池は大きな2つの問題を抱えています。一つは安全性です。この電池には発火、爆発の危険が付きまとっています。つい最近も最新型スマートフォンの発火が問題になりました。これは電池内でリチウムイオンが移動を繰り返すたびに生成したリチウム金属が氷柱(つらら)のように成長して絶縁膜を突き破ることが原因であると言われています。もう一つの問題は、リチウム金属が希少金属であり、資源の枯渇が懸念されることです。ケイ素ラジカル電池では移動するのは電子だけです。したがって氷柱の成長はなく、発火の恐れはありません。またケイ素は典型元素とも呼ばれ、先にお話しした通り地表に極めて豊富に存在する元素です。枯渇する心配はありません。

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ケイ素ラジカル二次電池の充放電反応。電池内で移動するのは電子だけである。そのため繰り返し高速充電でき、劣化も少ない。

この電池を実現する際にポイントとなった技術は何でしょうか。

ラジカルは開殻構造(かいかくこうぞう)をしています。これは原子核をとりまく一番外側の電子軌道(殻)にある電子数が定数に満ちていない構造のことです。この構造は、定員になるよう電子を受け入れて安定になろうとします。したがってラジカルとは極めて不安定な化学種なのです。電池を作るには、あらゆる使用環境で安定した状態を保つ必要があります。ポイントとなったのは、ケイ素に置換基を取り付けて、ラジカルの電子不足状態を、置換基を含む分子全体に分散させたことです。化学の言葉で言うと“電子の非局在化“と表現します。これによりこのラジカルは180℃という高温でも安定に存在でき、二次電池として充放電を劣化なく繰り返すことができます。

筑波大に進学して研究者を目指す若い人にアドバイスをお願いします。

私が多少なりともこの世界に貢献できたのは、周りの人たちとの関わり方に要因があったと思っています。私は研究員や学生に対してでも “同僚”という意識を強く持っています。「教育者」とは「共育者」、つまり“共に育つ者“です。私の研究室では議論に時間をかけます。この議論は対等な立場で行われるもので、一方が一方に何かを与える、というものではありません。この関わり方こそ人が育つために大切だと思っています。それと挑戦力.継続的に挑戦し続ける力のことを私はこう呼んでいます。化学に限らず他の分野でも重要なことは、突出した成果をあげること、一つの分野を確立するような大きな仕事を成すことです。そのためには、何年もの間、辛抱強く挑戦し続ける力が不可欠です。科学界は公平な世界です。成果を出せば、たとえ若くても多くの研究資源が与えられ、良い環境で研究ができます。多くの若い才能が科学の世界に進んで人類の発展に貢献することを願っています。